お問い合わせ サイトマップ Jp En 検索
menu

ZENITAKA Topics

工事レポート

種子島宇宙センター第1衛星試験棟

2012年02月 UP
種子島宇宙センター第1衛星試験棟

H-IIBロケット打ち上げの様子 2011.1.22撮影

2010年6月、探査機「はやぶさ」の7年にわたる60億キロの旅からの期間は、日本国民に大きな自信と元気を与えてくれました。この探査機「はやぶさ」は、2003年5月に鹿児島・内之浦宇宙空間観測所から、M-Vロケットで打ち上げられ、小惑星イトカワの成分を地球に持ち帰ってきました。
また、2011年1月22日、鹿児島・種子島宇宙センターから、宇宙ステーション補給機「こうのとり」2号機を搭載したH-IIBロケットが打ち上げられました。打ち上げから6日後の1月28日には国際宇宙ステーションとの結合に成功し、物資の補給という重要な任務を果たしています。
当社は、日本の宇宙開発において重要な役割を持つこれら宇宙開発施設の建設に、創設期から携わってきました。

2010年11月より、種子島宇宙センター内の5ヶ所で施設増築工事に携わり、2011年11月に工事が完成しました。この間の2011年9月23日にもH-IIAロケット(情報収集衛星)の打ち上げが行われました。打ち上げ当日は、作業所への立入りが出来ないため、工事関係者は現場から離れた場所で打ち上げの様子を見守りました。

H-IIAロケット打ち上げの様子 2011.9.23撮影

工事概要

工事名称 種子島宇宙センター
第1衛星試験棟増築(第3次)他4件工事
施工場所 鹿児島県熊毛郡南種子町
発注者 独立行政法人宇宙航空研究開発機構
設計・監理 ニッテイ建築設計株式会社
工期 2010年11月11日~2011年11月30日
構造・規模 S、RC、SRC造 地上2階 5棟
建築面積 1,801.42m2
延床面積 2,618.33m2
 

位置図

種子島宇宙センター内施工場所

完成建物

第1衛星試験棟

衛星系機材保管庫

宇宙開発施設建設における錢高組の関わりについて

1955(昭和30)年3月、東京都国分寺市で『ペンシルロケット』の水平発射実験が行われました。これがわが国における戦後の宇宙開発のスタートです。この年の8月には、早くも秋田県道川海岸にロケット実験場が開設されています。
その後、実験ロケットの性能が大陸に届くまでに向上し、より広い太平洋に向けた発射基地が必要となったため、鹿児島県大隈半島の内之浦に東京大学鹿児島宇宙空間観測所が開設されました。当社がこの建設工事を受注し、着手したのは1961(昭和36)年の12月のことです。さらに1969(昭和44)年10月には、内之浦から南に70kmの種子島に宇宙開発事業団種子島基地(現在の種子島宇宙センター)が開設されましたが、当社は内之浦での実績を評価していただき、この基地の建設工事にも当初から携わっています。

内之浦宇宙空間観測所

太平洋に面した新しい実験場を作るため、日本全国に候補地探しが行われました。建設計画の指揮を執られていた故糸川英夫博士が自ら現地を見て決められたという内之浦は、半島部特有の起伏の多い地形でした。糸川博士は日本のロケット開発の父と呼ばれ、探査機「はやぶさ」が向かった小惑星「イトカワ」は、博士にちなんで命名されています。

糸川博士が考えられたロケット発射場に不可欠な条件とは、人家や工場や耕作地が少く、輸送用の道路を作る困難さが小さいこと、また海は航路が少なく、漁船の出動が少ないこと、そして航空路の調整が可能で晴天率が高いことでした。世界の発射場に共通する「平地」という条件が入っていないのは、論理的に最低限の要求を基本にし、常識だけに頼るポイントを排除するという、糸川博士の「逆転の発想」の真骨頂と言えます。

工事は、山岳地を切り開いて台地を造成し、道路で繋ぐことから始まる大がかりなものでした。九州南端の地で、わが国で類のない用途の施設を建設するに当たって、当社は福岡支店(現九州支店)の支店長自らが指揮を執るという体制で臨みました。また、地元の方々の多大な協力によって成し遂げられた事業でもありました。
1971(昭和46)年3月に当初の工事は完成しましたが、当社はその後も継続して増設工事等に携わっています。1981(昭和56)年5月には、文部省宇宙科学研究所(当時)で開催されたハレー探査機「さきがけ」および「すいせい」の打ち上げ観測成功記念式典において、24年に及ぶ宇宙空間観測所建設への貢献と協力に対して宇宙科学研究所長から感謝状を頂くという栄誉に浴しています。

内之浦宇宙観測所 1971年完成当時

M(ミュー)センター(Mロケット発射基地)
(C)宇宙航空研究開発機構(JAXA)

種子島宇宙センター

1969(昭和44)年、科学技術庁(当時)所管の宇宙開発事業団が発足し、同時に種子島宇宙センターが設立されました。大型ロケットの打ち上げには地球の自転による遠心力が利用できる、より赤道に近い場所が有利になります。沖縄返還前のこの時点では、新しい宇宙基地建設候補地のうち最も南にあったのが種子島でした。当社はこの施設において、1972(昭和47)年9月のNロケット打ち上げ用施設の建設工事を皮切りに、広大な敷地内の道路やケーブルの敷設、指令管制棟他の数々の実験施設や宿舎の建設に携わってきました。

1986(昭和61)年に当社が携わったH-IIロケット射点設備基礎工事では、高さ75m、鉄骨重量3,000tにおよぶ発射点検棟の基礎と、ロケット打ち上げ時の噴射ガスを海側に誘導する煙道などを建設しました。地下40mまでの掘削工事と、16,000m3のコンクリート打設を行い、1990(昭和65)年5月に完成しています。

また、1999年、H-IIロケットの打ち上げ施設「吉信射点」にH-IIロケットの発射指揮室、テレメータ(遠隔計測)室などを含む吉信第2発射管制棟を建設しました。万一の地上爆発および空中爆発させた落下物の衝突に耐えられるよう、これらの施設の壁、床のコンクリート厚さは、共に1.2mあります。

種子島宇宙センターは、総面積約970万m2にも及び、『世界一美しいロケット発射場』と呼ばれています。実用衛星を運ぶ大型ロケットの打ち上げ基地として、わが国の宇宙開発において中心的な役割を果たす施設です。

参考資料
宇宙航空研究開発機構(JAXA)ホームページ

H-IIロケット射点設備基礎工事

H-IIロケット射点設備基礎工事(完成当時)

吉信第2発射管制棟外観

吉信第2発射管制棟 地下2階発射指揮室

種子島宇宙センター 大型ロケット発射場  左:HII-Bロケット射点、右:HII-Aロケット射点