創業1705年(寶永2年)~
番匠屋 錢高家は、江戸時代より泉州(せんしゅう)尾崎村(現 大阪府阪南市尾崎町)にて、歴代 錢高林右衛門、錢高助左衛門などを襲名し、錢高善造に至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていました。業祖錢高林右衛門が棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院(現存)が落慶。錢高組創業の瞬間です。
1705年(寶永2年)
本願寺尾崎別院
1705(寶永2)年9月18日落慶。錢高組創業の瞬間です。
創立1887年(明治20年)~1930年(昭和5年)
社祖 錢高善造は、1884(明治17)年に上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていきます。そして1887(明治20)年、善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、錢高組を創立しました。
1891年(明治24年)
尼崎紡績本社工場〈現ユニチカ〉
NHK連続テレビ小説「あさが来た」のヒロインの夫のモデルとなった広岡信五郎が初代社長を務めた尼崎紡績の本社工場は当社の歴史と深い関係があります。創立当初の錢高組は、このころ新興産業として各地に工場をつくりつつあった紡績会社や、鉱業関係会社の仕事を多く与えられ、日々成長していきます。当時の大阪は、河内や和泉など綿作地帯を背後に持っており、特に明治20年代の紡績業の隆盛はめざましく、多数の紡績工場が誕生し、"東洋のマンチェスター"とまで言われていました。そんな中、当社が初めて独力で手がけた工事が、1891(明治24)年に竣工した尼崎紡績の工場建設でした。同社は兵庫県に登場した初の本格的紡績会社で、のちに大日本紡績(現・ユニチカ株式会社)と改称し、日本最大の紡績会社となります。尼崎紡績本社工場上棟式に用いた破魔矢「鏑矢(かぶらや)」と「雁股矢(がんまたや)」は、尼崎紡績本社建物(現・ユニチカ記念館)に残されています。
1910年(明治43年)
大阪堂島米穀取引所
大阪賑わいの象徴。明治43年に竣工した大阪堂島米穀取引所。
1921年(大正10年)
旧 大阪市庁舎
ルネサンス様式の東洋一の建物(延面2万900m2、高さ53.6m)。
昭和60年には現在の市庁舎を完成。
1921年(大正10年)
大日本麦酒博多工場〈現アサヒビール 博多工場〉
アサヒビールの前身である大日本麦酒。壁厚が80cmもある赤レンガのビール工場は博多の名物風景でした。
1924年(大正13年)
秋葉原駅立体化
山手線を跨ぐお茶ノ水線は、工期わずか7ヶ月の突貫工事で完成。
1924年(大正13年)
旧 瀬田唐橋
近江八景のひとつ。日本三大名橋のひとつを再生。
1929年(昭和4年)
泰明小学校(中央区)
現在の泰明小学校の校舎は、関東大震災後の復興小学校の一つとして1929(昭和4)年に建設されました。その後、太平洋戦争中の1945(昭和20)年5月の銀座大空襲によって 大きな被害を受けましたが、構造的には被害は少なく、内外復旧工事を経て、現在もほぼ建設当初のままの姿を保っています。デザイン上の特徴としては3階の連続した半円形の窓と、円形に張り出した講堂、雨天体操場の外観が挙げられます。これは大正期に多く見られ、昭和の時代には失われた表現主義の影響を残しています。また、皇居に続く『みゆき通り』沿いには緑を伴うアーチ型の開口を有する塀が設けられ、その門扉は"フランス門"と呼ばれる瀟洒なデザインで、銀座の街並みに相応しい佇まいを見せています。1999(平成11)年10月に東京都の歴史的建造物に選定されました。
設立1931年(昭和6年)~1944年(昭和19年)
株式会社錢高組を設立し、合資会社錢高組を吸収合併。社長に錢高作太郎、副社長に錢高久吉が就任しました。
1932年(昭和7年)
第一高等学校〈現東京大学〉
後の東京大学となる第一高等学校(駒場)を昭和7年に竣工。
1937年(昭和12年)
勝鬨橋
勝鬨橋は昭和15年に万国博覧会のメインゲートとして計画されました。 東京市(当時)、錢高組を主体とし、石川島造船所(現IHI)、横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)、川崎車両(現川崎重工業)で工事を行いました。1905(明治38)年1月18日に日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により築地と月島を結ぶ「勝鬨の渡し」が設置されました。この渡しに由来して「勝鬨橋」と命名されました。勝鬨橋は、我が国で最大規模の跳開橋として、当時の最先端の技術を駆使して建設されており、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁として隅田川に架かる「清洲橋」「永代橋」と共に平成19年6月に国の重要文化財に指定されました。跳開部の機械設備が歴史的景観を構成する設備として、機械技術面で歴史的意義のある「機械遺産」に平成29年8月に日本機械学会によって認定されました。
復興・躍進1945年(昭和20年)~1970年(昭和45年)
終戦を迎え、高度経済成長期に入り、オリンピックや日本万博博覧会の主要施設の施工、海外事業への進出、国土開発の推進に貢献するなど、大きな躍進を遂げました。
1948年(昭和23年)
軍艦島(端島炭鉱)
2015年 世界文化遺産に登録された軍艦島(三菱電機三菱鉱業端島炭鉱)。昭和23年に入鉱口を施工。
1958年(昭和33年)
東京都砂町下水処理場
生活と環境保全のための大型工事。東京都トップクラスの処理場で敷地面積は最大。
1959年(昭和34年)
米軍沖縄海兵隊キャンプ・シュワブ
昭和25年、戦後沖縄米軍基地内の工事に建設業として初めて進出。昭和34年、辺野古シュアブキャンプを竣工。
1964年(昭和39年)
駒沢オリンピック施設
東京オリンピック(昭和39年)のバレーボール会場。「東洋の魔女」の晴れ舞台。
1964年(昭和39年)
立正佼成会大聖堂
直径70mの円形ドームの大聖堂。2005年に免震化工事。
1968年(昭和43年)
大阪商工会議所
8階建の延面約2万m2の事務所ビル(日建設計)。
1970年(昭和45年)
大阪万博パビリオン
万国博本部ビル・別館と国際バザール・エクスポクラブ、ビルマ館等。人類の進歩と調和をテーマに。
転換1971年(昭和46年)~2000年(平成12年)
技術開発の拡大、海外事業の本格化により、建設需要の多角化に対応し、低成長時代を乗りきりました。
1974年(昭和49年)
種子島基地
新時代の基地を種子島に建設。H-Ⅱロケット。新時代を目指した種子島基地。
1978年(昭和53年)
上越新幹線 吾妻川橋梁
上越新幹線の長大PC橋。ディビダーク式カンチレバー工法で施工しており、建設当時最大支間長を有したT形ラーメンPC橋。鉄道橋の連続ラーメン構造としては、未だに日本最長スパン(109m)の記録を保持。
1979年(昭和54年)
東京製鐵岡山工場
電気炉工場。
1981年(昭和56年)
日産自動車設計造形
日産自動車の技術開発拠点「日産テクニカルセンター」。モノづくりの総合的な拠点へ。
1985年(昭和60年)
大阪市庁舎
SRC造、地下4階地上8階。延面2万9600m2。
1987年(昭和62年)
東北学院大学 泉キャンパス
総合キャンパスを施工。仙台市泉区の10万坪の敷地に9万m2の校舎。
1988年(昭和63年)
日生金鳥ビル
「日本の夏、金鳥の夏」でお馴染みの大日本除虫菊本社ビル。
1988年(昭和63年)
瀬戸大橋
本州と四国を結ぶ夢のプロジェクト。本四架橋最初の児島・坂出ルート。岩黒島高架橋、櫃石島高架橋等を施工。
1990年(平成2年)
ネクサス百道 マイケル・グレイブス
ポストモダンの騎士、マイケル・グレイブス氏設計による事務所ビル(別途、スタンリータイガーマン棟)。外国人設計者との協業・施工。
1991年(平成3年)
東京都庁舎 議会議事堂
丹下健三氏設計による庁舎建築の最高峰。
1993年(平成5年)
住友生命ニューアルカイックビル
当社にとって初めての本格的高層ホテル(22F)の施工。当社の超高層建築の幕明け。
1993年(平成5年)
敷島製パン 野田工場
現パスコ利根工場。関東地区で4番目の工場。
1995年(平成7年)
桃山学院大学 和泉キャンパス
総合キャンパスを施工。堺市から和泉市へ全面移転に対して基本構想から施工まで(日建設計)。
1996年(平成8年)
キャナルシティ博多
ジョン・ジャージー氏基本設計による人工運河を中心とした複合施設(約24万m2)。都市に運河を再現させた街づくり。
1997年(平成9年)
くじら橋
国内最大支間長を有する優美な門型ラーメンPC橋。シャープな曲面とユニークな舟底断面は世界でも類を見ない個性的な橋梁となっています。洗練されたオブジェのような歩道橋。
2000年(平成12年)
慶應義塾大学 三田キャンパス東研究棟
21世紀2001年(平成13年)~
錢高組は、創業以来3世紀に亘り、数多くのプロジェクトに関わって来ました。それは、変わり続ける社会にあって、変わらないわたしたちの思い。「社会から認められ、社会から求められる企業」として、これからも次世紀に豊かな環境を残すため、わたしたちは4世紀目の扉を開きます。
2001年(平成13年)
小笠山総合運動公園スタジアム ECOPA
静岡スタジアム・静岡アリーナ。2002年サッカーワールドカップ会場。
2003年(平成15年)
名古屋大学野依記念物質科学研究館
ノーベル賞受賞記念事業。ノーベル化学賞を受賞した野依良治教授の研究館。
2004年(平成16年)
国立国際美術館
日本初の完全地下型の現代美術館。シーザー・ペリー氏設計。
2006年(平成18年)
天満天神繁昌亭
上方落語の定席(じょうせき)を60年ぶりに復活。平成27年1月に3代目桂春団治お別れの会を開催(桂文枝会長)。
2007年(平成19年)
横谷川但東ダム
豊岡市但東町の生活貯水池ダム。堤高25.7m、堤頂長120m、総貯水容量47万m3、堤体積2.5万m3の重力式コンクリートダム。
2008年(平成20年)
三内丸山架道橋
東北新幹線最大のエクストラドーズド橋。鉄道橋としては日本最長スパン(150m)を有する。隣接する三内丸山遺跡への景観に配慮して、圧迫感の少ないエクストラドーズド橋が採用されました。
2009年(平成21年)
千葉セントラルタワー
地上43階、高さ151mの超高層住宅。セントラルコアチューブ免震構造を採用することで高度な安全性を確保。
2009年(平成21年)
中之島新線 第2工区
大阪都心部を東西に走る地下鉄。「水都大阪のシンボル」。京阪中之島線~新線が拓く中之島新時代~
2010年(平成22年)
ワルミ大橋
沖縄本島・屋我地島間のワルミ海峡を横断するコンクリートアーチ橋(アーチ支間210m)。アーチの施工は、先に鋼管を架け渡し、その鋼管をコンクリートで巻立てる工法(合成鋼管巻立て工法)を採用。海峡を一跨ぎする長大アーチ橋。
2011年(平成23年)
東京工業大学付属図書館
東工大130年記念事業としてY字型鉄骨が支える三角柱のガラス・ハウス。地下中心の大学図書館。
2012年(平成24年)
新湊大橋
日本海側最大級の斜張橋。全長600mの鋼・コンクリート複合斜張橋。主桁は上層が自動車専用道、下層が桁下に吊下げられた全天候型自転車歩行者道からなる2層構造。
2014年(平成26年)
ブリヂストンベトナム工場
ブリヂストングループのベトナム工場として、ベトナム社会主義共和国ハイフォン市ディンブー工業団地に日産24,700本の乗用車用ラジアルタイヤを生産する大型工場。
2014年(平成26年)
中央環状品川線
大深度、大口径、長距離シールド。この工事が完了し中央環状線前線が開通し首都圏の渋滞緩和に貢献しています。
2014年(平成26年)
柏の葉スマートシティ ゲートスクエア
スマートシティ。当社設計施工による複合用途施設(事務所、商業、ホテル、住宅、エネルギー棟)。日本初の平常時電力融通を可能としました。
2015年(平成27年)
国立国会図書館 国際こども図書館 アーチ棟
安藤忠雄氏設計による児童書専門図書館の増築工事。国立の児童書専門図書館です。
2015年(平成27年)
丹波綾部道路由良川橋
柱頭部上下線一体構造のPC橋。大口径深礎基礎橋脚1柱に上下線幅員21.2mの広幅員柱頭部からなるPC箱桁橋。
2018年(平成30年)
ナイル架橋
ウガンダ共和国ジンジャ県における、ナイル川に架ける斜張橋。東アフリカ初の斜張橋。