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プロジェクトストーリー
320 years

Time Travel 今昔探訪

ここでは当社が過去に施工した歴史的建造物をご紹介します。
建設当時の姿を今も伝えているものもあれば、再び当社の施工で、新たな姿に生まれ変わった施設もあります。
時を超える写真による「タイムトラベル」をお楽しみください。

大阪市庁舎 昔
大阪市庁舎 今

大阪市庁舎 Osaka City Hall

大阪市北区 | 1921(大正10)年 竣工 | 1985(昭和60)年 改築

旧大阪市庁舎は1921(大正10)年完成、建設工事に3年を費やしたルネサンス様式の大建築で尖塔の高さは53.6mと大阪市内随一の高さを誇り、東洋一の建築物と言われました。当社の創立者 錢高善造の現役最後の大仕事となりました。1982(昭和57)年に現在の市庁舎への建替え工事で姿を消すまで、約60年にわたり大阪市民に親しまれました。
現在の市庁舎は1985(昭和60)年12月に完成。先代庁舎に勝るとも劣らない堂々の風格の新庁舎で、昭和60年度全建賞、第28回BCS賞などを受賞しました。ロビーには旧庁舎の遺構が展示されているほか、旧庁舎の外装だった花崗岩も一部再利用されています。

勝鬨橋 昔
勝鬨橋 今

勝鬨橋 Kachidoki Bridge

東京都中央区 | 1937(昭和12)年

勝鬨橋は1940(昭和15)年に開催が計画されていた「紀元2600年記念日本万国博覧会」のメインゲートとして計画された、我が国最大の跳開橋です。万博そのものは中止となりましたが、勝鬨橋は無事完成。当時の我が国の技術の粋を結集した橋梁で「東洋一の可動橋」とも呼ばれました。
戦後も1日数回、大型船を通すために橋が開いていましたが、モータリゼーションの進展に伴い1970年を最後に跳開を停止。「開かずの橋」となりましたが、現在でも当時の姿をそのままに伝えています。

吾妻橋 昔
吾妻橋 今

吾妻橋 Azuma Bridge

東京都台東区 | 1931(昭和6)年

隅田川にかかる「吾妻橋」は1923(大正12)年の関東大震災後に現在の鋼製アーチ橋に架け替えられました。当社が請け負った改築工事は、1931(昭和6)年に竣工し、これが我が国最初の請負による圧気潜函(ニューマチックケーソン)工法の施工例となり、「橋の錢高組」の異名をとるきっかけになりました。世界各地から多くの観光客が訪れる浅草の街や、高くそびえる東京スカイツリーなど、周囲の街並みは大きく変わっていますが、今も当時の姿のまま浅草のシンボルのひとつとして親しまれています。

堂島川可動堰(水晶橋) 昔
堂島川可動堰(水晶橋) 今

堂島川可動堰(水晶橋) Dojimagawa Canal Gates (Suisho Bridge)

大阪市北区 | 1927(昭和2)年

堂島川可動堰は1927(昭和2)年、堂島川の水質改善を目的に建設された「可動堰」と呼ばれる特殊なダムの一種で、建設当時は日本初、世界でも米国の建設例に次いで二例目という大変珍しいものでした。川の流水量を調節するダム扉は歩道橋の床下に設置され、一見普通の橋と変わらない外観になっています。大都市・大阪の中心に位置することから美観にも注意が払われ、アーチが連なる美しい姿が印象的です。現在では歩行者専用橋として整備され「水晶橋」と呼ばれています。

秋葉原駅 昔
秋葉原駅 今

秋葉原駅 Akihabara Station

東京都千代田区 | 1932(昭和7)年

御茶ノ水駅と両国駅を結び、東の総武線と西の中央線を直結する計画は1931(昭和6)年に着手され、当社はこのうち両国駅を含む「第1工区」と秋葉原駅を含む「第5工区」をそれぞれ施工しました。第5工区は工期210日という突貫工事で、すでに開通していた山手線の高架のさらに上、地上約15mに新たに総武線の高架駅を構築するという複雑危険な難工事でした。この難工事の完遂をきっかけに、当社は全国の鉄道工事で多くの実績を積み重ねることになりました。 現在は周囲の街並みも大きく変わり、駅の外観も変化していますが、建物そのものの基本的な構造体はそのままに使用されています。

両国駅 昔
両国駅 今

両国駅 Ryogoku Station

東京都墨田区 | 1929(昭和4)年

1923(大正12)年の関東大震災で大きな被害を受けた両国駅は、1929(昭和4)年に当社の施工で貴賓室を備えた鉄筋コンクリート造2階建ての駅舎に改築されました。建設当時は総武線の終着駅でしたが、2年後の1931(昭和6)年に着工した中央線との接続延伸工事により、当社施工の秋葉原駅を経由して御茶ノ水駅まで接続。隅田川を越えて東京の鉄道の東西の背骨がつながりました。現在でも当時の姿をそのままに現役の駅舎として使用されています。

大阪府立医科大学 昔
大阪中之島美術館 今

大阪中之島美術館 Nakanoshima Museum of Art, Osaka

大阪市北区 | 2021(令和3)年

大阪府立医科大学 Osaka Medical College

大阪市北区 | 1927(昭和2)年 竣工

大阪府立医科大学の校舎は大阪市北区中之島に1927(昭和2)年2月完成、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建ての近代的な校舎でした。内外の装飾は簡素を旨としたものでしたが、特に耐震のための構造には注意が払われました。
1931(昭和6)年には大阪帝国大学(現 大阪大学)の創立とともに同大学医学部校舎となり、1993(平成5)年に大阪府吹田市に移転。中之島の旧校舎の跡地には2021(令和3)年に当社の施工で「大阪中之島美術館」が誕生しました。

中央区立泰明小学校 昔
中央区立泰明小学校 今

中央区立泰明小学校 Taimei Elementary School

東京都中央区 | 1929(昭和4)年

関東大震災後の復興小学校の一つとして1929(昭和4)年に当社の施工で建設された現在の泰明小学校の校舎は、1945(昭和20)年の銀座大空襲で大きな被害を受けましたが、構造的には被害は少なく、復旧工事を経て現在もほぼ当時の姿のまま使用されています。壁厚は22cmあり、現在の基準に照らしても十分な耐震強度を確保しています。また半円形の窓や独特の形の玄関の柱には大正期の「表現主義建築」の影響を残しています。アーチ形の開口を有する塀と瀟洒な佇まいの「フランス門」は銀座の街並みに呼応しています。1999年には東京都の歴史的建造物に選定されました。
建設当時、校舎の裏を流れていた「外濠川」は、現在では東京高速道路(KK線)となっています。