キーワードで知る錢高組

SPECIAL 01

様々な時代を造ってきた錢高組300年を超える歴史。
その経験と実績の上に、一人ひとりが輝ける舞台がある。

1705年創業
?300年を超える歴史?
橋の錢高組
地下大空間建築技術
グローバルな事業展開
大地への愛 人間への愛
 ?復旧・復興事業への貢献?
宇宙開発への参画

1705年創業
?300年を超える歴史?

錢高組の誕生は、江戸時代(徳川綱吉の時代)までさかのぼります。番匠屋 錢高家は、江戸時代より宮大工の棟梁を代々家業としていました。
 1705年9月18日には、業祖錢高林右衛門が棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院(現存)が落慶。この年を錢高組創業の年としています。 社祖 錢高善造は、1884年に上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていきます。そして1887年、善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出すことになります。 以来、江戸時代から明治、大正、昭和という激動の時代を乗り越えながら、300年を超える歴史のなかで数々の時代を画する建設に携わってきた錢高組。2015年9月18日には、創業310周年を迎えました。

橋の錢高組

橋といえば錢高組といわれるほど、その実績と技術は社会から高い評価を受けてきました。東京の歴史的建造物である「勝どき橋」も錢高組の仕事。1940年に国家的イベントとして計画された万国博覧会のメインゲートとして計画され、資材が不足する中、7年をかけ、同年6月14日に完成しました。勝どき橋は、我が国で最大規模の跳ね橋として、当時の最先端の技術を駆使して建設されており、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁として隅田川に架かる「清洲橋」「永代橋」と共に平成19年6月に国の重要文化財に指定されています。

近年においても数多くの橋梁工事の施工実績をほこり、東北新幹線の八戸~新青森間に位置する「三内丸山架道橋」では土木学会・田中賞、沖縄ワルミ海峡を跨ぐアーチ橋「ワルミ大橋」では日本コンクリート工学会作品賞を受賞するなど、社会からも高く評価されています。現在はアフリカ・ウガンダでも橋梁工事を手掛けており、今後も国内外を問わず活躍の場を広げようとしています。

地下大空間建築技術

環境負荷低減の見地、また、様々な制約条件等から、建築物の大部分を「地下化」するという大胆な空間構成をとることがあります。工事の施工にあたっては、土質や土圧、地下水位をはじめとする様々な課題を克服する必要があり、非常に高い技術力が要求されます。錢高組は、こうした技術にも早い段階から積極的に取り組み、1998年には世界的にも珍しい完全地下型の現代美術館である「国立国際美術館」(大阪府北区中之島)の施工を手がけました。上部階から工事を進める逆打ち工法、山留め壁にはRC地中連続壁を採用するなど、様々な技術を駆使して工事を完成させました。
ここで得た経験や技術を活かし、2006年には、こちらも世界に類を見ない規模の完全地下工場「ヤマザキマザックオプトニクスフェニックス研究所」(岐阜県美濃加茂市)の施工を手掛けることになります。工場を地下室にすることで、外部の騒音・振動やほこりを含んだ空気の流入を防ぎ、空調に頼らず年間を通して安定した室内環境を得ることができます。他にも、「東京工業大学附属図書館」(東京都目黒区)や「国立国会図書館 国際子ども図書館アーチ棟」(東京都台東区)など、地下空間を利用した建築物の施工には、当社が培ってきた経験と知識、そして、技術力が大いに活かされています。

グローバルな事業展開

昭和初期から海外での事業に取り組んできた錢高組。現在ではマニラ、ミャンマー、ハノイ、ホーチミン、アフリカなどに支店・事務所を開設し、積極的にグローバル展開を進めています。 2014年竣工のBTMVプロジェクトは、ブリヂストンがベトナムに初めて建設する工場。ブリヂストングループのなかでも最大規模の生産拠点となることから、ベトナム国内での期待も大きく、日本・ベトナムにとって大きな意味を持つ国際的なプロジェクトとなりました。

アフリカでは、東アフリカ初の斜張橋としてウガンダナイル架橋が2018年に竣工予定。2014年2月より、橋長525m、工期4年間の大型プロジェクトが本格的にスタートしました。この橋の完成により、東アフリカ地域各国の農業・産業振興や貿易・投資の拡大、ウガンダ国における北部回廊の輸送能力の増強と安全なナイル渡河ルートの確保が期待されています。2014年1月の起工式にはムセベニ大統領自らが出席されるようなど、国内外からの注目を浴びている国家的プロジェクトを錢高組は手掛けています。

大地への愛 人間への愛
?復旧・復興事業への貢献?

地震など自然災害が絶えない日本において、錢高組は災害復興に積極的に取り組んできました。1923年、首都圏を壊滅させた関東大震災では、震災直後から罹災者収容仮設宿舎、仮橋架設、学校や役所の仮設建物工事などを数多く手がけ、その後も昭和初期までの間に15校の小学校を建設しました。中でも東京・銀座に現存する泰明小学校(1929年建設)は復興のシンボルとして人々に希望を与え、現在もほぼ建設当時のままの姿を保っています。
 2011年3月11日の東日本大震災による壊滅的な状況から、各地で進む復興事業が形を見せつつあります。復興に留まらず、新たな街づくりに取り組む様々なプロジェクトに錢高組も数多く参画しています。その領域は大変広く、水門・防潮堤復旧、宅地造成、圃場復旧、小中一貫校の新築、トンネル新設、河川堤防・護岸復旧、病院・ケアセンターの新設、津波避難ビルの整備など土木・建築両面で復興、防災への取り組みが続いています。

宇宙開発への参画

月以外の天体で着陸と離陸に成功した世界初の探査機「はやぶさ」。日本の宇宙開発技術は世界にも引けをとらないことを証明しましたが、錢高組は早くからこの宇宙開発に携わってきました。第二次世界大戦の終戦から10年後、1955年に国分寺市で長さ23cm・直径1.8cmのペンシルロケットの水平発射実験をおこなったのが日本の最初のロケット実験とされ、その後、秋田県での実験を経て、鹿児島県内之浦に東京大学鹿児島宇宙空間観測所の建設が計画されました。錢高組は1961年にこの建設計画を受注して完成させ、1986年のハレー探査機「さきがけ」・「すいせい」打ち上げまでの24年間にわたって日本の宇宙観測事業発展に貢献してきました。

同じ鹿児島県種子島で宇宙開発事業団種子島基地の開発が始まったのは1969年。内之浦での実績を高く評価されていた錢高組は、種子島基地の開発にも当初から携わることになりました。広大な敷地の造成工事から始まった工事ですが、特に注目を集めたのは施設の中心となる射座の建設。多くの断層があり、支持地盤が悪い中での施工でしたが、無事に工事を完成させることができました。錢高組がロケットを製造したり、実際に飛ばしたりするわけではありませんが、日本の宇宙開発の発展に錢高組が重要な役割を担ったことは間違いありません。