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重要文化財:隅田川に架かる勝鬨(かちどき)橋

東京の歴史的建造物である国内最大級の「跳開橋」として有名な昭和を代表する「勝鬨橋」の建設の歴史と今の姿を紹介します。

月島側から望む
月島側から望む

位置図
位置図


“かちどきのわたし”碑
“かちどきのわたし”碑

隅田川の橋の歴史

■「勝鬨橋」ってどこに架かる橋

勝鬨橋は、隅田川のもっとも下流に架かる橋です。
近くには、東京の台所をあずかる築地市場、著名人の告別式で登場する築地本願寺、もんじゃ焼きの月島、晴海通りを反対側に足を延ばせば銀座4丁目も1km圏内の下町に位置します。

■「勝鬨橋」の名前の由来

勝鬨橋は、明治の時代より幾度となく架設計画がありました。
1905(明治38)年1月18日に日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により築地と月島を結ぶ「勝鬨の渡し」が設置されました。この渡しに由来して「勝鬨橋」と命名されました。

■「勝鬨橋」の時の流れ

勝鬨橋は昭和15年に国家的イベントとして計画された万国博覧会のメインゲートとして計画されました。
昭和8年6月10日に工事を着手し、資材が不足する中、7年をかけ、昭和15年6月14日に完成しました。
東京市(当時)、錢高組を主体とし、石川島造船所(現IHI)、横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)、川崎車両(現川崎重工業)で工事を行いました。
当時は、隅田川を航行する船舶が多く、陸運よりも水運を優先させる可動橋として設計され、大型船舶の通航を可能としました。 午前9時、午前12時、午後3時の1日3回、1回につき20分程度開いていました。さらに昭和22年12月24日には都電が開通しています。
しかし、東京オリンピックが開催された昭和39年以降は、跳開回数は年間100回を下まわるようになり、昭和45年11月29日を最後に跳開されることはなくなりました。

■勝鬨橋の規模と構造

橋長:246m 橋幅:22m 橋梁総重量:8,480t
橋台・橋脚:鉄筋コンクリート造
上部構造:中央二連の跳開部(可動部全開角度:70度)固定部は下路式タイドアーチ


跳開状況
跳開状況

橋梁側面図
橋梁側面図


勝鬨橋と隅田川テラス
勝鬨橋と隅田川テラス

勝鬨橋ライトアップ
勝鬨橋ライトアップ

■「勝鬨橋」の今

《橋の周辺整備》

平成2年から3年にかけ、錢高組施工で歩道の御影石張り、街灯の整備、歩道と車道境界の防護柵設置を行い、ほぼ現在の姿となりました。また、「隅田川テラス」工事にも参画し、平成18年、「勝鬨橋」周辺部整備が完成しました。

《ライトアップ》

平成10年より、夜間ライトアップが始まりました。
周辺建物のネオンとの対比を考慮して、アーチ部分をグリーンのライトで構造美を浮かび上がらせ、水平部は橋の線を強調するためにブルーにライトアップされています。川風にあたりながらの隅田川テラスの絶景は、夏の夕涼みに最高の場所です。

《開かずの跳開橋をあげたい》

隅田川に架かる勝鬨橋を開け、下町の活性化につなげたいという動きが市民グループを中心にあります。土木建造物が利用者のための空気のような当り前の存在から、ありがたさを再認識し、先人の技術力を知るために、是非実現させたい企画です。

《重要文化財としての勝鬨橋》

勝鬨橋は、我が国で最大規模の跳開橋として、当時の最先端の技術を駆使して建設されており、我が国の橋梁技術史上、高い価値がある橋梁として隅田川に架かる「清洲橋」「永代橋」と共に平成19年6月に国の重要文化財に指定されました。


“重要文化財”碑
"重要文化財#

「勝鬨橋」橋銘版
「勝鬨橋」橋銘版



■隅田川の橋と錢高組

錢高組は、昭和4年に、わが国で最初の請負による圧気潜函工法を採用した橋長150mの「吾妻橋」に着手しました。戦後は、昭和36年に、「勝鬨橋」よりも一橋上流の隅田川で最も長い「佃大橋」(476m)に着手し、昭和39年に開通しました。

■「勝鬨橋」へのアクセス

東京駅−(JR山手線1分)−有楽町駅−(東京メトロ有楽町線5分)‐月島駅−(都営大江戸線2分)−勝どき駅−(徒歩8分)−勝鬨橋

東京駅−(JR山手線4分)−浜松町駅−(徒歩9分)‐大門駅−(都営大江戸線7分)−勝どき駅−(徒歩8分)−勝鬨橋

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